「原始、女性は太陽であった」
明治44年に創刊された『青鞜』に寄せた”平塚らいてう”の有名な言葉です。
平塚らいてうに代表されるような、女性参政権や社会的地位の向上をめざす
”フェミニズム”が、より積極的な「男女平等」を求めて動き出したのが1970年ごろでした。
当時は、”
ウーマン・リブ”という言葉と、アメリカ女優”ジェーン・フォンダ”の名前は、
”ウーマン・リブ”の意味の分からない中学生(私)でも知っていました。
*ウーマン・リブ・・・
女性解放運動 women's liberation movement〉を略して,
日本で広く使われている呼称。1960年代から1970年代にかけての,
フェミニズム運動の世界的な盛り上がりをさす。
丁度、東京大学の近くにある中学校に通っていた私は、毎日”赤ヘル”や”白ヘル”のデモ行進が
東大構内をうねうねと続き、機動隊やヘリコプターが周りを取り巻いていたのを
理解不能で見ていたことを覚えています。
この「全共闘」と呼ばれていた学生運動が、日本の”ウーマン・リブ”のキッカケになったことは、
全く知りませんでした。
当時の”ウーマンリブ”のモットーは、「女性は男の奴隷ではない!」という言葉だったと
記憶しています。
その当時会社に就職した女性から、「あの頃は、断固”お茶汲み”を拒否した」のだと
伺いました。が、彼女の本心は、「本当は、お茶くらい入れてあげたかったけど。
私がそんなことをしたら、後から入社してくる女性達に迷惑がかかると思って、がんばったのよ。」
という、かわいらしい”オチ”がある話でした。
彼女は、その後も「”男女平等”をモットーに、会社では”男に負けないように”無理を
承知でがんばってきたのだ。」とも話してくれました。そして、最後に「男女は、助け合うために
居るのにね・・・。」と、柔らかく微笑んだ顔が”本来の彼女”だと思ったことを思い出します。
そもそもの”ウーマン・リブ”は、アメリカを中心とする女性解放運動でしたが、
同時にアダムとイブの神話に基づく女性観に対する”反キリスト教運動”の一環として、
キリスト教社会では禁止されていた”堕胎”を女性の権利として認させるために
大きく活動が広がっていきました。
日本の”ウーマン・リブ”も、キリスト教圏ではありませんが、なぜか?”堕胎の自由”を
積極的に推し進めていたと思います。
その頃よく耳にしたのは、「堕胎は、何ヶ月目までなら殺人にならないか?」とか、
「今なら、お腹の子は未だ人間じゃないから、堕胎しても大丈夫!」という巷の話題でした。
この巷の会話の大元に使われたのが『ヘッケルの個体発生』という考え方でした。
エルンスト・ヘッケル(1834年〜1919年 生化学者・哲学者)は、
昨日ご紹介した胎生学者ブレッヒ・シュミッドと同じドイツ人で、
ドイツで”ダーウィンの進化説”を広めることに貢献した人物です。
また、心理学を生理学の一分野であると見なした・・・つまり、現代の”唯脳論”の
最初期の人々の一人です。
特にヘッケルを有名にした言葉は、
「
個体発生は系統発生を反復する」(
反復説)という独自の発生理論でした。
この”個体発生”と”系統発生”という言葉もヘッケルの造語だそうですが、
”発生”というのは、受精卵が、その動物の胎児になってゆくプロセスですから、
反復説は、ある1つの動物(個体)の発生のプロセスのなかに、ダーウィンが唱えた
”その動物が進化してきた(系統)プロセス”を繰り返す。ということです。
受精卵(一個の細胞)→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類(ブタなど)→サル→人間!
そこで、先ほど会話にでていた「未だ人間じゃない・・」という発想につながっていたのです。
キリスト教(旧約聖書)の教義では、神は人間にだけ魂を授け、動物は魂がない。ことに
なっていますから、
動物だったら堕胎しても、キリスト教の教義」『人を殺すなかれ』に反しない!
という論理です。
そして、結果的に、当時は本当に多くの若い女性達が”堕胎”を繰り返し、
なかには結婚後に”不妊の悲しみ”を語る女性も出てきたことが象徴的でした。
現在では、この『ヘッケルの個体発生』には、いろいろと修正を加えられているそうですが、
おそらく、ほとんどの科学者は、基本的に『ヘッケルの発生学』を思考の基礎にもっていると
思われます。
歴史的には、社会的ダーウィニズムとおなじように、『ヘッケルの個体発生』も、
思いもかけない形で当時も今も社会的影響をもっています。
たとえば、子供は大人にくらべて進化的に前の段階であるとか、
原始的種族は、進化の段階が低い状態だ=有色人種(黄色・黒・赤)は白人に劣る→
奴隷制の肯定や、人種差別の肯定。など、世界の悲しみの根源的な思考だと考えます。
丁度、この『ヘッケルの個体発生』が胎生学の”常識”として旋風を巻き起こしている同時代に、
単独!「人間は、発生の初めから 人間である!!」という主張をもっていた胎生学者が、
ブレッヒ・シュミッドだったのです。
当然、当時の科学界はブレッヒ・シュミッドの研究成果を非難するだけでした。が、
近年になって、ようやくブレッヒ・シュミッドと同じ視点から胎生学を見つめようとする動きが
始まってきたように思います。
私も、ブレッヒ・シュミッドの科学的姿勢に、強く感化されています。
そして、ダーウィンとウォレス、ヘッケルとシュミッド、共にそれぞれが同時期の同じ国で、
全く逆の研究成果を発表し、ひとつは”常識”となり、ひとつは”陰”となってきた事実と、
今あらためて、その正当性を”公平に”そして”真摯に”問い直す必要があることを
強く訴えたい気持ちです。
アルフレッド・ウォレスと、ブレッヒ・シュミッドの長年の研究成果が、
日本語に翻訳され、多くの方々にとどくことを期待しています!