コラム: 複数の同時世界へ 〜DVD『パラレル・プラネット』 〜
- 2014.01.17 Friday
- 01:00
15日も過ぎ、お正月気分も切り上げなければいけませんが、
DVD『パラレル・プラネット』を観ながら考えていたことを少しお話します。
SFですから、ネタバレは好ましくありませんが、まずはヘタな映画紹介です。
主人公は、量子物理学専攻の研究者:ピーター(マイケル・デニス)。
研究室教授である恩師ジャックの不可解な失踪事件に関して、「We」と語る謎の人物から
尋問される内容に沿って、ピーターがパラレル・ワールドを行き来する”自身の記憶”を辿る。
「自己の存在証明」を見つけようとするストーリー・・・・だと感じました。
この作品の中で扱われていた物理学的な2つの内容は、
近未来的に ディバイン・サイエンスを推し進めていく原動力になるだろうと考えています。
*パラレル・ワールド
*アインシュタイン・ローゼンブリッジ = ワームホール
(参考)通過可能なワームホール 数式→wikipedia ワームホール
パラレル・ワールド
どのように思考をすすめても、
「偶然の集合」でしか進化を語ることのできないダーウィン・サイエンスでは、
”同時進行”に”同じ人間”が”別の時間・空間”で平行存在する!ということは、
全くありえないでしょう。
そもそも、パラレル・ワールドを肯定すれば、同時に全く別空間の宇宙の存在を
認める必要が出来てきます。
私は科学者ではありませんから、感性的にしか表現できませんが、
私にとってのパラレル・ワールドを”見える化”してみます。
例えば、”細いチューブ状の糸”の”玉”か、”編みもの”を想像します。
もし3つのパラレル・ワールドなら3色、5つのパラレル・ワールドなら5色・・・
多数のパラレル・ワールドが想像されますが、
少なくとも、パラレル・ワールドが2つだけというのは(映画『コンタクト』的に)
”もったいない”と直感します。
この糸を同時に”巻き取って”つくった球体、または”編んで”つくった鎖の輪・・・のように
思えます。
チューブ状の糸の外側からは、この宇宙は”有限”ですが、
チューブの内側からは、おそらく宇宙は”無限”あるいは”果てしない広がり”に感じるでしょう。
チューブの外側からは、これらの宇宙は”時間的に同時平行の存在”ですが、
チューブの内側からは、唯一無二の”孤立した存在”としか思えないでしょう。
例えば・・・
私たちが、ひとつのチューブの輪の中の存在であるとしたら、
水族館の魚達のように、閉じられた空間は”果てしない広がり”で
どこまでも泳ぎ続けることができるでしょう。
隣の水槽との接触がない限り、”ここだけ”が”世界”だと思えます。
3次元物質が偶然に進化したという前提では、
同一個体が、別宇宙に、同時存在することは、可能性がありません。
けれども、”高次元存在”つまり”霊エネルギー”として人間を考えれば、
その”表現体”のひとつとして3次元肉体をもつことが可能になり、
結果として”表現体”は、”網目”のように各宇宙に各個存在する可能性がでてくるでしょう。
つまり、人間を”霊的な存在”として規定すれば、
人間は”エネルギー体”として自己を開放することができ、
その結果として、複数の3次元化が可能です。
おそらく3次元では、基本的に「1宇宙、1表現体」の規定があるのでしょう。
(たまに、クローン化された個体が同時宇宙に複数いて、目撃されることもあるようです)
少なくとも、異世界の中に”自分”が同時平行的に存在し、
なおかつ自由選択を行っている・・・・ということを『パラレル・プラネット』は映像化しています。
これ以上を考えることの出来る思考のキャパを持っていないので、
ここから先は”未来”にお任せするのですが、『コンタクト』も『パラレル・プラネット』も
荒唐無稽なでっちあげのストーリーではありません。それぞれ製作された年代の
科学的最先端の可能性を発信しています。
ただこれらが、SFだけで行き詰まっている原因が、ダーウィン・サイエンスの唱える
「3次元・唯物理論」にあるといいたいのです。
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