コラム:科学の神1 〜『悪魔を出し抜け』からみる 「科学」 と 「神」〜
- 2014.02.09 Sunday
- 01:48
ウォレスとダーウィンの項でもご紹介したことですが、
19世紀中頃、当時ヴィクトリア女王のもとに大英帝国として栄えていたイギリス経済の発展が、
貴族以外の中産階級の裕福な人々をうみだし、
その中産階級の紳士たちが中核となって、「科学」や「学問」を
特別な学者や貴族だけの”特権”ではなく、広く一般人の興味関心の対象にしました。
その結果として、ダーウィンやウォレスの活躍によって”自然科学”というジャンルが誕生し、
その”自然科学の温床”から現代に至る様々な科学が芽生えた・・・というのが、
現代科学のプロフィールです。
結果的に、現代科学の”祖(おや)”は「自然科学」だということになります。
では、自然科学が科学の上に”自然”という言葉を冠しているのは何故?と考えれば、
この”自然”とは”物質化したもの”という「前提」をあらわしているのだと気付きます。
物質つまり形而下を専門として科学とする世界観を継承している”思考系”です。
現代的にいえば「実験科学」といわれる系列の科学に相当するでしょう。
今私たちが普通、あたりまえに科学と呼ぶとき、
あるいは科学的か否か?と思考判断するとき、
その前提に必ず”物質化したものにおいて”とか、”実験的に証明可能な範囲で”と
いう”但し書き”を含んでいます。
そして、この”但し書き”をいちいち述べなくてもよい共通の価値観に”常識化”する
教育システムを構築したことをナポレオン・ヒル著『悪魔を出し抜け』は暴露したのです。
この暴露本によってヒル氏が同義的に社会的抹殺を受ける可能性を恐れて、
ヒル氏の家族は『悪魔を出し抜け』の原稿を封印したわけです。が、
その封印を70年以上の時を経て今開示できるようになったということは、
ひとつには、ナポレオン・ヒル財団が揺るぎのない評価を確立したことを意味する。と同時に、
『悪魔を出し抜け』の影響力が、著述当時より格段に小さくなってきたことを意味しています。
一般的に現在では「神」や「悪魔」の存在の是非は、「個人の自由」に含まれる事柄であって、
「社会的道義」などというレベルで扱われるような事柄ではない!という”暗黙の了解”が
はたらいているということでしょう。つまり、「神」や「悪魔」を信じる人々の思想的影響力が
小さくなっていることを裏付けたことにもなります。
その一方で、科学的進化は「ナイト・サイエンス」によって支えられているという
事実があることを重ねれば、現在の科学界において”神秘性”や”神”は伏字で実在し、
それによる成果だけが「科学」として吸い上げられているということであるでしょう。
この「伏字の実在」を『悪魔を出し抜け』の悪魔は”(悪魔に対する)対抗勢力(神)”と
呼んでいました。
コラム『悪魔を出し抜け』にふれましたが、ヒル氏の”思考管理”のもとで
悪魔の思考が言語化されている中にも、実に巧妙といえる”すり替え”が
繰り返されていることが、現在の視点からは気付くことが出来ます。
その”すり替えの呪文”と考えられる言葉のひとつが、
科学的に 思考する
という言葉です。 ”流されない”ために悪魔が推奨している方法ですが、70年以上前の
著作時はまだまだキリスト教会の社会的影響が大きかった頃のことですから、
科学的に思考する=神の存在否定 の推奨でもあった可能性があります。
といっても、悪魔は”キリスト教会”と”学校”が悪魔の協力者であると言い切っていましたね。
70年前のアメリカで、キリスト教会と学校を敵にまわすことがどれほどのことか・・と
思わずにはいられませんが、今現在の日本に言い換えれば”マスコミ”と”中国”を敵に
まわすような著作が『悪魔を出し抜け』だったということになるでしょう。
明日も「科学の神2」を考えていく予定です。
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