アルフレッド・ウォレス

  • 2016.09.02 Friday
  • 22:31

現在でも生物学の教科書などに“ウォレス線(生物地理学)”として

名が知られているアルフレッド・ウォレスは、ダーウィンとは対照的に

1800年代英国の貧しい階級出身の青年でした。

 

そして、生来の探究心をもって“虫屋”として東南アジア一帯に活動拠点を広げます。

 

当時の英国では自然科学が流行して、ダーウィンのような上流階級の紳士たちが

こぞって自然科学に熱い興味を持っていたので“珍しい生き物の標本”が高値で取引されたのです。

 

ただ、ウォレスは“虫屋”にとどまることなく、ダーウィンに先駆けて「自然淘汰による進化説」という

独自の探求成果を学術レベルの論文として完成させ、

当時自然科学会の大先輩であり尊敬するダーウィンに宛てその論文を送っています。

(1858年7月1日のロンドンリンネ学会にて発表)

 

一方のダーウィンは、ビーグル号の航海に同行した時の印象や採集品への研究成果を、

レポートや書簡形式でしか自説を構築することができていなかったのですから、

自分より階級が低く才能あふれる青年の膨大で緻密な研究成果の存在は、本当に脅威であったようです。


ウォレスに対するダーウィンの「焦り」という心理的葛藤は充分想像できます。


このことがキッカケとなってダーウィンは先急ぐように『種の起源』を発表し、

時代の流行はダーウィニズムに流れ込みました。

 

その後ウォレスが独自の「進化論」を発表した時、ダーウィンは安堵したはずです。

 

なぜなら、ウォレスがスピリチュアリズムの研究成果を基にした人間の進化論は、

ダーウィニズムが流行していた英国自然科学会からも一般社会からも全く受け入れられず、

科学界からの追放に近い処遇を与えられたからです。

ウォレスによって消されるかもしれなかったダーウィンが、ウォレスを消し去ったのです。


「進化論」発表後のダーウィンは、自宅の小さな研究室にひきこもり、

ひたすらにフジツボの進化を研究した様子が娘から語られています。

 

一方、自ら論じた自然淘汰説をこえて「“目に見えない宇宙の意志”」が

地球生命の進化を計ったとする自説の進化論が人々の嘲笑を受ける中でも、

ウォレスは90歳余の生涯を閉じるまでの30年以上もスピリチュアリズムにおける人間研究を続け、

死の直前まで多数の論文を発表し続けました。

それこそが、彼が信じた「人間の進化」への探究心と確信が消えることがなかったからだと信じます。


人がそびえ立つ山の全景を見るには、その山から遠く離れなければ見えないように、

時に人の偉業も時代を経る必要があるのかもしれません。

 

ダーウィンが自説を発表する前、ダーウィンもまた当時の宗教的常識のなかで

研究仲間に『自然淘汰説』が受け入れられるだろうか・・?と不安の時を過ごしたとききます。

それは、本当にある種の偉業と受け取られて当然の行為です。

けれども現時点から振りかえれば、ウォレスほどの研究者としての良識と情熱と確信が

ダーウィンにはなかった・・と推察しています。

 

ある意味で、そのときダーウィンに”味方するもの”の力が大きかったと思わざるをえません。

 

 

 

 

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Wornitz

〜ピタゴラスの手 HPより〜 Wornitz(ワーニッツ)を例えて言えば、泥水の入った容器をシェイクするようなものです。暫くするとシェイクされる前と同じように、その中身の比重に合わせて沈殿していきますが、しかし,どこをとっても「以前と同じではない」という状態、すなわち「秩序が変えられた状態」になっています。 泥水と違って私達の身体はもともと「より良くなろう」という性質が備わっており、Wornitz(ワーニッツ)によりシェイクされた後も無秩序に再構成されることはありません。常にベストな状態(秩序)を探りながら構成されていきます。そこに私達人間の素晴らしさを見ることができます。 その性質を最大限に活用させていただくことが、その時々の「最適な秩序」を構成する上でとても大切なことだと言えます。

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