コラム: グレーは、宇宙人?か、アンドロイドか?

  • 2013.11.21 Thursday
  • 01:29
 
アンドロイド や レプリカント といえば、人間そっくりの容姿をした”人造人間”ですが、

おりおりに”発見”されている”グレー”は、宇宙の”人”なのか、それとも”アンドロイド”なのか?



グレーが”宇宙人”である。という記述が多い中で、

グレーは、実際の宇宙人が”単純な作業”や”危険な作業”を担わせるために

つくった”有機的ロボット”だという説がありました。



私には、この説は大変納得のできる説です。

以下、私なりの説明ですが・・・・たとえば、


地球の科学技術ではもう少し先の話ですが、

”有人”の宇宙航行が発達していけば、当然”未知の環境”ばかりになります。

その未知の環境が、人間にとって安全かどうか?・・を、初めから人間で試すことは

あまりにもリスクが大きいでしょう。

かといって、現在私たちが知っている”アシモ君”などの機械ロボットでは、

人間が設定した環境要素しか測定することは出来ません。



伝染性の細菌、肉食系の動植物、大気成分の時間的変化など。

未知・・・ということは、予測不可能であるはずですから、人間にとって安全な環境かどうかを

実際に現地で確認する作業をまかせるための”人間型有機ロボット”を作成する必要が

あるはずです。

つまり、人間の肉体と同じ成分をもっている”ロボット”でなければ、本当の意味で

人間の安全確保は難しいだろうと思うのです。



地球外の宇宙の人々にとっても、おそらく条件は同じではないでしょうか?


もしそうだとすれば、グレーの陰には指令をだしている”宇宙人”が存在しています。

グレー型の”有機ロボット”を使用している宇宙人は、複数種いるそうですが、

地球人にとって、友好的なよい宇宙人であることを願っています。


ダーウィン式進化説への疑問  〜量子物理学 と 死後の世界〜

  • 2013.11.20 Wednesday
  • 00:09
 
ダーウィン式進化説ウォレス式進化説の最大の違いを簡単にいえば、

結局”目に見えるもの”と”目に見えないもの”の扱い方の違いにあります。


ダーウィンは、”目に見えないもの”をまったく研究対象とはしませんでした。

そして、”現存する生物”や”過去に生存していた生物の化石”などの”目に見えるもの”を

唯一の手がかりとして進化説を思考しました。


それに対して、ウォレスは最後まで”人間の進化”と”動物の進化”との違いとして、

心や心霊などの”目に見えないもの”の存在を科学的に研究し、進化説を思考しました。



18世紀当時の英国では、”目に見えるもの”は科学者達を惹きつけ、

”目に見えないもの”は大衆を惹きつけました。

そして結局、科学者達をひきつけた”目に見えるもの”であることが、科学的であることに

なりました。



今は「量子物理学」という”目に見えないもの”を扱う科学が存在しています。


量子物理学の未来がどのようなものであるかは、私の想像を超えていますが、

少なくとも、”目に見えるもの”だけを科学的な根拠にしようとしたダーウィンの思考が

崩れていくことだけは、予感できます。


今の量子物理学の見ている先には、かならず”心の力”あるいは”思いの物質化”という

テーマが広がってくるはずです。

すると、人間存在の形態が、かならずしも肉体をもたなくとも「存在可能」であることが

わかってくると信じます。

この肉体以外の存在形態を、宗教的に表現するなら「心霊」とか「魂」と呼ばれているもの

でしょう。そして、それらが存在している時空間が「霊界」や「死後の世界」あるいは「あの世」と

呼ばれるものに相当するはずです。



ダーウィン式進化説は、”目に見えないもの”の視点を全く含まずに展開してきましたから、

21世紀から始まる新しい科学の中で、踏みとどまるには無理が生じてくるはずです。


繰り返しになりますが、何かひとつ『ダーウィン式年表』にあわない発見が

公的に認められれば、消滅せざるをえない”仮説”になるのです。



まだまだマイノリティー・リポートですが、最近の量子物理学者の研究発表には、

「死後の世界はありえる」という結論も、ようやく出されるようになりました。



今の私の目には、”ダーウィン式進化説”自体が、あの19世紀の童話作家・

H.C.アンデルセンが書いた『裸の王様』のように思えます。

世の中は、未だ『裸の王様』が”裸”だということを口にすることを恐れています。


ただ、きっとまもなく、純粋な子供の一言に”恐怖は崩壊する”時がくると感じます。


私もまた「王様は、裸だ」と、自分の思いを素直にかたる勇気を

持ち続けたいと願っています。





ダーウィン式進化説への疑問  〜堕胎の自由 :ウーマンリブ運動 と 個体発生〜

  • 2013.11.19 Tuesday
  • 00:44

「原始、女性は太陽であった」

明治44年に創刊された『青鞜』に寄せた”平塚らいてう”の有名な言葉です。


平塚らいてうに代表されるような、女性参政権や社会的地位の向上をめざす

”フェミニズム”が、より積極的な「男女平等」を求めて動き出したのが1970年ごろでした。


当時は、”ウーマン・リブ”という言葉と、アメリカ女優”ジェーン・フォンダ”の名前は、

”ウーマン・リブ”の意味の分からない中学生(私)でも知っていました。

     *ウーマン・リブ・・・
     女性解放運動 women's liberation movement〉を略して,
     日本で広く使われている呼称。1960年代から1970年代にかけての,
     フェミニズム運動の世界的な盛り上がりをさす。



丁度、東京大学の近くにある中学校に通っていた私は、毎日”赤ヘル”や”白ヘル”のデモ行進が

東大構内をうねうねと続き、機動隊やヘリコプターが周りを取り巻いていたのを

理解不能で見ていたことを覚えています。

この「全共闘」と呼ばれていた学生運動が、日本の”ウーマン・リブ”のキッカケになったことは、

全く知りませんでした。


当時の”ウーマンリブ”のモットーは、「女性は男の奴隷ではない!」という言葉だったと

記憶しています。

その当時会社に就職した女性から、「あの頃は、断固”お茶汲み”を拒否した」のだと

伺いました。が、彼女の本心は、「本当は、お茶くらい入れてあげたかったけど。

私がそんなことをしたら、後から入社してくる女性達に迷惑がかかると思って、がんばったのよ。」

という、かわいらしい”オチ”がある話でした。


彼女は、その後も「”男女平等”をモットーに、会社では”男に負けないように”無理を

承知でがんばってきたのだ。」とも話してくれました。そして、最後に「男女は、助け合うために

居るのにね・・・。」と、柔らかく微笑んだ顔が”本来の彼女”だと思ったことを思い出します。



そもそもの”ウーマン・リブ”は、アメリカを中心とする女性解放運動でしたが、

同時にアダムとイブの神話に基づく女性観に対する”反キリスト教運動”の一環として、

キリスト教社会では禁止されていた”堕胎”を女性の権利として認させるために

大きく活動が広がっていきました。



日本の”ウーマン・リブ”も、キリスト教圏ではありませんが、なぜか?”堕胎の自由”を

積極的に推し進めていたと思います。


その頃よく耳にしたのは、「堕胎は、何ヶ月目までなら殺人にならないか?」とか、

「今なら、お腹の子は未だ人間じゃないから、堕胎しても大丈夫!」という巷の話題でした。



この巷の会話の大元に使われたのが『ヘッケルの個体発生』という考え方でした。


エルンスト・ヘッケル(1834年〜1919年 生化学者・哲学者)は、

昨日ご紹介した胎生学者ブレッヒ・シュミッドと同じドイツ人で、

ドイツで”ダーウィンの進化説”を広めることに貢献した人物です。

また、心理学を生理学の一分野であると見なした・・・つまり、現代の”唯脳論”の

最初期の人々の一人です。



特にヘッケルを有名にした言葉は、

個体発生は系統発生を反復する」(反復説)という独自の発生理論でした。


この”個体発生”と”系統発生”という言葉もヘッケルの造語だそうですが、

”発生”というのは、受精卵が、その動物の胎児になってゆくプロセスですから、

反復説は、ある1つの動物(個体)の発生のプロセスのなかに、ダーウィンが唱えた

”その動物が進化してきた(系統)プロセス”を繰り返す。ということです。

     
   受精卵(一個の細胞)→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類(ブタなど)→サル→人間!


そこで、先ほど会話にでていた「未だ人間じゃない・・」という発想につながっていたのです。

キリスト教(旧約聖書)の教義では、神は人間にだけ魂を授け、動物は魂がない。ことに

なっていますから、動物だったら堕胎しても、キリスト教の教義」『人を殺すなかれ』に反しない!

という論理です



そして、結果的に、当時は本当に多くの若い女性達が”堕胎”を繰り返し、

なかには結婚後に”不妊の悲しみ”を語る女性も出てきたことが象徴的でした。



現在では、この『ヘッケルの個体発生』には、いろいろと修正を加えられているそうですが、

おそらく、ほとんどの科学者は、基本的に『ヘッケルの発生学』を思考の基礎にもっていると

思われます。


歴史的には、社会的ダーウィニズムとおなじように、『ヘッケルの個体発生』も、

思いもかけない形で当時も今も社会的影響をもっています。


たとえば、子供は大人にくらべて進化的に前の段階であるとか、

原始的種族は、進化の段階が低い状態だ=有色人種(黄色・黒・赤)は白人に劣る→

奴隷制の肯定や、人種差別の肯定。など、世界の悲しみの根源的な思考だと考えます。



丁度、この『ヘッケルの個体発生』が胎生学の”常識”として旋風を巻き起こしている同時代に、

単独!「人間は、発生の初めから 人間である!!」という主張をもっていた胎生学者が、

ブレッヒ・シュミッドだったのです。


当然、当時の科学界はブレッヒ・シュミッドの研究成果を非難するだけでした。が、

近年になって、ようやくブレッヒ・シュミッドと同じ視点から胎生学を見つめようとする動きが

始まってきたように思います。


私も、ブレッヒ・シュミッドの科学的姿勢に、強く感化されています。

そして、ダーウィンとウォレスヘッケルとシュミッド、共にそれぞれが同時期同じ国で、

全く逆の研究成果を発表し、ひとつは”常識”となり、ひとつは””となってきた事実と、

今あらためて、その正当性を”公平に”そして”真摯に”問い直す必要があることを

強く訴えたい気持ちです。



アルフレッド・ウォレスと、ブレッヒ・シュミッドの長年の研究成果が、

日本語に翻訳され、多くの方々にとどくことを期待しています!



ダーウィン式進化説への疑問  〜人間の妊娠期間 : 人類慢性早産説〜

  • 2013.11.18 Monday
  • 00:32
 
ずいぶんと以前のNHK番組の中で、大学の女性研究者が

「人間の新生児は、慢性的な未熟児」である。という見解を述べていたことを覚えています。


この研究者の説明は、概ねこのようなものでした。

「ほとんどの哺乳動物は、生後まもなくに自立し、自分から母乳を求めていくことができる。

それに比べて、人間は自立(2本の足で立つ)までに12ヶ月以上を必要とする。

これは、4足歩行だったサルから、2足歩行の人間になったために、胎児が十分に成長する過程を

母体では抱えきれなくなったために、12ヶ月早く出産せざるをえないからである。

つまり、人間は哺乳類として”慢性的な早産”なのである。」



日本人にとって、NHKは”常識”を伝えてくれる情報機関だ・・・と、

多くの人が信じているように思えます。

ですから、この番組をみていた日本人の多くの方々は、この”人類慢性早産説”を

”なるほど・・・”と受け止められたかもしれません。



さらに、もしかしたら、妊娠中で重たいお腹をかかえ”腰痛”になやむ方々は、

「サルから無理やり2足歩行になったから、妊娠は大変なのだ」と納得されたかもしれません。



たしかに、妊婦にとって”身ごもって”直立していることは大変に負担です。

特に、胎児が大きくなってくる妊娠後期になれば、妊婦の身体は生理的な出産準備のため、

骨盤を含む靭帯などがゆるんでくるので、胎児を抱えて直立している負担は

さらに大きくなります。

それを思えば、確かに”人類慢性早産説”・・・を考えても不思議はないかもしれません。



けれども、その女性研究者は、もうひとつ別の事実を一言も語りませんでした。



それは、多くの哺乳類の誕生と、人類の誕生の”向き”が逆になっていることです。

つまり、サルも含めて多くの哺乳類は”母親の腹の方向”へ顔を向けるように出てきます。

けれども、人類は”唯一”といえるでしょうが、”母親の背中の方向”へ顔をそらすように出てきます。

これは、背骨(脊柱)の動きでいえば、直立するための必然的な動きです



ドイツの胎生学者であったブレッヒ・シュミッドは、独自の胎生学研究を続けた結果として

人間は、その発生の初めから人間であったという、”ダーウィン式進化説”から派生した

”個体発生説”に従わない胎生学をまっとうしました。


系統発生と個体発生は、本来違うものですから、同一視すること自体がおかしなことですが、

もしかしたら、今現在も情報として”当たり前のように”私たちの生活に浸透している可能性も

あります。



次は、この系統発生と個体発生の同一視から始まった出来事を、

私の体験とあわせて考えてみます。


ところで・・・・・


”ダーウィン式進化説”の”サルから進化した”という説が成り立たないとしたら、

人間の自立までに必要な”12ヶ月”の意味はどのようなものになるのでしょう。

ウォレスであれば、そこにどのような必然性をみいだすのでしょうか。


私も、いずれ”12ヶ月の意味”を見出してみたいと強く思います。

ダーウィン式進化説への疑問  〜ウォレス : 人の心の多様性〜

  • 2013.11.16 Saturday
  • 01:59
 
19世紀半ば、ヴィクトリア朝最盛期の英国で2つの「進化説」が生まれました。

そのひとつの”ダーウィンの進化説”(ダーウィン式進化説)は科学界の常識となり、

もうひとつの”ウォレスの進化説”を知る人は、ごく僅かです。


アルフレッド・ラッセル・ウォレスは、ダーウィンより若く、ダーウィンと同時期に

自然科学を牽引した自然科学者の代表でした。

日本の生物の教科書には”ウォレス線”として名前が残っています。

また、「自然選択による進化」というアイデアを「進化説」にまで確立させたのは、

ほとんどがウォレスの研究成果によるものでしたし、『ダーウィニズム』(ダーウィン主義)という

自書によって”ダーウィニズム”という言葉を確立させたのもウォレスでした。


若い頃のウォレスは、19世紀の東南アジアを中心に”採集家”として精力的に活動していました。

その間に研究発表した多数の論文などは、現在も著名です。

amazonの書籍検索に「アルフレッド・ウォレス」をいれれば、代表作である『マレー諸島』、

『熱帯の自然』、『アマゾン河探検紀』・・・などがあり、

『熱帯の自然』のレヴューは、ウォレスを以下のように評していました。

      「極めて科学的な、そして今日でも遜色のない卓見に満ちています。
       本書を読めばウォーレスが単なる採集人ではなく、たぐいまれな観察眼を持った
       すぐれた科学者であったことに気がつくことでしょう。」


けれども、そのウォレスが、60歳から90歳の死の間際まで研究を続けた「人間の進化」に

関する貴重な研究成果で、現在日本語翻訳出版されているのは『心霊と進化と』だけです。

そして、この”心霊”という言葉がつくことで、ウォレスの30年に及ぶ真摯な科学的研究成果は

19世紀当時から現在まで”科学の常識”から全否定されたままです。


実は、ウォレス自身も、ダーウィンより先に”自然選択”を”人間の進化”にあてはめて

論文を構成したのです
。 けれども、自然選択を人間の進化にあてはめた結果たどりついた

自らの内なる疑問に逆らうことはしませんでした。

その疑問とは、「人間の心の多様性・・・例えば、数学能力、芸術能力、音楽の才能、

抽象的な思考、ウィットやユーモアなど・・・を 自然選択の結果に獲得したのだろうか?」

というものだったといいます。


この疑問をもつキッカケとなった出来事として伝わるのは、『マレー諸島』や『熱帯の自然』などに

描かれている文明的に”未開の地”であっても、ウォレスが接した原住民族の人々の

”心”の発達は、けして当時の西洋人たちの心に劣るものではなく、時には西洋人が

学ぶべきものを有していた
・・・という出来事からだといいます。



長年にわたって、多くの生物の形態や生態に関わる”選択的進化”を

本当に真摯に、数多く研究し続けたウォレスだからこそ、”人間の心”という存在を

”自然選択的淘汰”の説明で済ませることができなかったのでしょう。


”人間の心”の進化・発達という点で、私もウォレスと同じ思いです。



ところで、若き日のダーウィンも、有名なビーグル号の航海で”原住民族”に接しています。

けれども、ダーウィンの航海は”一度きりの旅行”のような旅でした。

ですから、ダーウィンは”原住民族”の姿形には接しましたが、

彼らの”心”に接することはできなかったのでしょう。


もしかしたら、その時からダーウィンの目には”原住民族”の姿形が

”サルが直立している”ように見えていたのかもしれません。



常に、若く才能と行動力のあるウォレスに先をこされていたダーウィンにとって、

ウォレスが科学者として”心霊主義”に踏み込んでいったことは、きっと朗報だった!と

私は考えています。


なぜなら、ダーウィンにとって初めてウォレスを憐れむ立場になれたからです。



ダーウィン式進化説への疑問  〜化石: ほとんど”知らない”という事実 〜

  • 2013.11.15 Friday
  • 01:33

 ソクラテス
は、ギリシャ時代の哲人で「哲学の祖」とよばれていますが、

そのソクラテスが見出した結論は「無知の知」ということでした。


ソクラテスは、デルフォイの神託という”神からのお告げ”によって「ギリシャで一番賢い者」と

名指しされます。彼は驕り高ぶった人物ではありませんでした。それどころか、「自分はまだまだ

知らないことが沢山ある者だ」と思っていたので、そのお告げが本当であるのか・・・

を検証するために、「我こそ”知らないことのない”賢者である」と自称する賢者達に会いに行きます。

結局、”自称・賢者”達はソクラテスの智慧に及ばないことが判明します。

その時、ソクラテスが自らを語った言葉が『無知の知』だったといわれています。

つまり、ソクラテスは「自分にはまだまだ知らないことがある」ということを知っている。という点で、

他の賢者達より優れていた
・・・・というのです。



もしダーウィンに、ソクラテスの「無知の知」が備わっていたなら、現代の進化論も

違った、あるいはもっと進化したものになっていたはずです。



例えば、現在地球上で生存が確認されている生物は170万種におよぶそうですが、

現代の調査でも、その170万種という数が”氷山の一角”に過ぎないほどの生物が

未発見”つまり、ほとんど”知らない”のだといいます。

さらに、すでに”絶滅した生物”に関してもほとんど”知らない”といわれます。

その生前の姿を知ることが出来るのは、かろうじて化石が残された”ほんの一部”の

生物に限られているのです。



ですから、本来の私たちはソクラテスのように「知らない。ということを知っている者」で

なければ、正しく科学することはできないでしょう。

そして、「知らない。ということを知っている者」だからこそ、可能性に対してオープンで

あることができるはずです。



特に、ウォレスが30年以上を研究に費やした”人間の進化”に関しては、

ダーウィンの”知”はフジツボのように狭い知識からたちあげた

「サルが、環境の必然性によって、人間になった」という仮説でした。

そして、この仮説は、その後に発見された”サルと人間の中間”と考えられそうな化石の

出現によって、あっというまに”常識”になりました。




確かに、化石という”形”だけをみれば”中間”という見方も可能です。

けれども、実際には「進化」と同じ条件で「退化」という方向性もあります。



今の常識で考えられているだけの地球であるならば「進化」だけで推測可能でしょうが、

この常識が常識でなくなったときにくる21世紀以降の科学では、「退化」という視点が

重要な意味をもつようになるはずです。


つまり、生物として”完成品”から始まる科学的視点があらわれるのです。

そして、その完成品が、どこから、どのように、地球にもたらされたのか・・・が

科学されるでしょう。

 

そのことをダーウィンは、全く”知らなかった”のです。





ダーウィン式進化説への疑問  〜化石 : 残らなかったもの と 見過ごしているもの〜

  • 2013.11.14 Thursday
  • 00:46
 
科学の想像力は、本当に豊かです。


特に”ダーウィン式進化説”に従って、地球生命の進化をシュミレーションする映像や文章は、

本当にその場面にいるような臨場感を感じます。


それだけを見ていれば、”ダーウィン式進化説”が進化における”地動説”のような、

絶対の真実であると思ってもおかしくはありません。


”ダーウィン式進化説”が、あまりにも当たり前に日常のアチラコチラに存在していると、

科学的に思考すること自体を忘れてしまうほどです。


けれども、実際に”ダーウィン式進化説”が裏づけとして採用している化石資料などは、

地球という遠大な存在のごくごく一部に限られています。

たしかに、科学的評価に値する化石が発掘されていることでしょうが、

地球上に生存した生物のどれほどが、化石として地中に存続可能なのでしょう?



動植物を構成する組織は、実際はとてもデリケートなものです。

もっとも硬いと思える骨や牙でさえ、少しの酸などによって溶解してしまうようなものです。

ましてや、地殻変動や造山運動をする地球の地中に埋まって、

化石に姿をかえて存在を永らえることができるものは、ほんの僅かなものであるはずです。


化石は、そうした貴重な存在だからこそ、私たちに夢とロマンを与えてくれます。


半面、化石を一本の糸でつなぐように並べてしまうことは、

化石として残らなかったもの”の事実を見えなくしてしまう恐れも含んでいるはずです。

発掘された化石から真実を導きだそうとすることが科学なら、

”残らなかったもの”にも真実を語る力があると考えるのも科学です。




もうひとつ、”ダーウィン式進化説”の立場にいると絶対に”見逃してしまう事実”が

山のようにあります。

”ダーウィン式進化説”の年表に合わないものは、無視されるか一笑に付されて消されます。

どんなに科学的に、その証明を試みたとしても、それらの努力は不当に扱われたままです。


けれども、地中から掘り出した”たった一つの化石”に事実をみようとするのと同じように、

たった一つの”見逃してしまう事実”に真実を見出そうとすれば、

そこから未来への可能性が大きくひらいてゆくのです。



具体的にあげればキリがありませんが、

今は”オカルト”や”SF”だと思われて、エンタメとしてしか扱われていないものの中に、

科学の未来がひらいていることだけは事実です。


残念ですが19世紀のダーウィンの想像力は、

21世紀以降の未来の科学を導く方向性はもっていません。


ダーウィンの思考世界から”脱出”するときが来てることを感じ取っている人は多いはずです。



ダーウィン式進化説の年表 に 合わないもの

  • 2013.11.13 Wednesday
  • 01:45
 
ブログ記事に間が空いてしまったので話が繰り返しますが、

21世紀の私たちの視点から見えることとして、

「ダーウィン式進化説」が19世紀半ばの科学界に熱狂をもって迎えられ、

あっという間に”科学界の常識”になった・・・という事実の裏には、

19世紀当時の科学界の”キリスト教会の抑圧から開放されたい”という強い願望が、

閉鎖された室内に潜む火種のようになっていたといえます。

そこへ、ダーウィンが扉を開けたのです。

まさしく、バックドラフト現象が起こったといえます。


ダーウィンの進化説の信憑性そのものを問うより、

教会の教義の及びもつかない”自由”を手にしたような”高揚感”が

ダーウィン式進化説ブームをつくり、ブームはやがて常識化し、

現代に至っています。



この約150年の間に、科学的に公平な検証がされたのでしょうか?

本当に、全ての生命をダーウィン式進化説の上に並べてしまえるのでしょうか?


少なくとも、19世紀半ばにダーウィンに多大な影響を与えたウォレスは「NO」と言いました。


ただ、バックドラフトのように燃え盛ったブームが沈下してくるために、

150年を要したのだと思います。

そして、未だダーウィン式進化説が常識という炎のように見えるのは、

背後から必死に”ふいご”で風を送っているからに過ぎません


やがて炎は燃え尽きるでしょう。けれど、光は絶えることがありません。

ウォレスは光を見つめていたと確信しています。



そもそも、この大宇宙と言われている空間が、どのように出来たのか?

未だ、誰もその真相を知る者はいません。

「宇宙は、ビックバンといわれる大爆発によって生じた」といっても、

その爆発自体が偶然であり、爆発の前には何もなかった・・・・という今の常識は、

結局、全てを”目に見える証拠”から立ち上げようとするダーウィン式進化説の世界観

つくりあげたものです。



現在の科学でも、地球がどのようにしてできたか定かではありません。

それでも、地球が精力的な地殻変動を行っていることは誰でも知っています。

例えば、アルプスなどの山脈が、地殻変動によって海底が隆起したものであり!

さらには、アフリカ大陸とアメリカ大陸などの全ての大陸は、もとはひとつの大陸であった!

などなど・・・科学の想像力は豊かです。


けれど、その科学がアトランティス大陸やムー大陸、あるいはガーナ大陸やゴンダアナ大陸など

超古代史といわれる大陸の隆起や沈没の可能性を 無視するのは何故でしょう?

あるいは、現在南極大陸とよばれている大陸の氷の下には”文明”が存在している・・という

可能性を 無視するのは何故でしょう?


すべては、ダーウィン式進化説の年表にあわない。  ただ、それだけです。

逆に捉えれば、どんな事例であっても、ダーウィン式進化説の年表の中に

うまく当てはまるものだけを”事実”とする。・・という、暗黙の了解があるということです。

そして、この暗黙の了解を”常識”とよんでいるのです



この”常識”とよばれている”暗黙の了解”が、どれほど科学そのものを狭く、窮屈に

していることか! 19世紀に”開放”されたはずの科学は、実は自分で自分の首を

締めている”罠にかかったサル”のように感じられます。     



明日は、「ダーウィン式進化説への疑問 〜化石 〜」について、

考えてみます。


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Wornitz

〜ピタゴラスの手 HPより〜 Wornitz(ワーニッツ)を例えて言えば、泥水の入った容器をシェイクするようなものです。暫くするとシェイクされる前と同じように、その中身の比重に合わせて沈殿していきますが、しかし,どこをとっても「以前と同じではない」という状態、すなわち「秩序が変えられた状態」になっています。 泥水と違って私達の身体はもともと「より良くなろう」という性質が備わっており、Wornitz(ワーニッツ)によりシェイクされた後も無秩序に再構成されることはありません。常にベストな状態(秩序)を探りながら構成されていきます。そこに私達人間の素晴らしさを見ることができます。 その性質を最大限に活用させていただくことが、その時々の「最適な秩序」を構成する上でとても大切なことだと言えます。

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