コラム: 心霊科学の実験事例  〜浅野和三郎氏『神霊主義』より〜

  • 2013.12.31 Tuesday
  • 23:41
 
現代の科学がその存在をみとめなくとも、心霊現象は、

どの時代・どの地域にも見られます。


ただ、19世紀のスピリチュアリズムに特徴的な事柄は、

心霊現象に対して「科学的実験」が多数行われたことです。


これらの心霊実験の質・量ともに、現代の科学的視点からみても、

客観的に十分”科学的”です。


何故現代の科学者が、当時の科学的データを現代科学によって検証しないのか?が

不思議に感じられます。


本来、19世紀スピリチュアリズムは”心霊現象研究”のために

起されたのではありません。

当時におこった唯物思想に対する”警告”と”教導”のために

幾つもの心霊現象が起されました。


心霊現象が、やがて心霊科学へと発展し、さらにスピリチュアリズム=神霊主義として

大成していったのです。


ただ、現在ではそれらの情報は”皆無”に等しいほど、常識から外されていますので、

私たちの目に触れることもありません。


”情報操作”と同等の隠蔽レベルにあると思っています。




そこで、」まずは”心霊科学”というものが、いったいどのようなものであったのか・・・

を知るために”でくのぼう出版”発刊の『心霊主義』をご紹介します。

浅野和三郎氏の著書『神霊主義』には、こうした”心霊科学”の実験情報が

いくつも真摯に述べられていて、当時の心霊科学の質の高さを垣間見ることができます。


浅野氏は、自身もこれらの現象実験に参加するなど、積極的に実験の正当性を

訊ねたうえで、心霊研究のもたらす教訓を”鋭く”まとめています。






浅野和三郎氏の著書『神霊主義』より

*主な心霊現象の分類
 
  1) 偶発性 の 諸異常現象
  2) 叩音 および 物質化現象
  3) 霊言現象
  4) 自動書記現象
  5) 霊視現象
  6) テーブル浮揚 ならびに 物品引き寄せ現象
  7) 心霊写真現象
  8) 直接説話 その他の物理的現象

これらのうちから、心霊現象の初期に代表される”以下”の実例を

ご紹介いたします。


<叩音>

19世紀スピリチュアリズムの始まりである”ハイズビル事件”は、

上の分類2)コツコツという”叩音”から始まりました。


その後、その”叩音”は質問に対して”yes  or  no”や”アルファベット”を示す数字を叩く

などして、意思の疎通を行えるようになりました。

こうして霊と会話して結果的に分かったことは、「5年前に、その家で殺された霊」からの

通信だったということです。



<物質化現象>

日本が”明治”になってまもなくの頃、イギリスの心霊現象のなかでは

非常に特徴的な”物質化現象”の実例です。

ケイティー・キング霊による実験をおこなったウィリアム・クルックス卿は、

近代物理学の権威として知られている”物理学者”であったために、その実験方法は

現代でも十分通用する”科学的客観性”を持っていました。


また、霊媒として活躍したフロレンス・クック嬢には多少の嫌疑も伝わっていますが、

少なくとも”ケーティー・キング”の霊媒としての活動は信憑性のあるものだと考えます。

ケイティー・キング霊は、クック嬢に対して「3年間の約束」をして現象化し、

そして3年後に約束どおり姿を全く現さなくなっています。

写真撮影にも応じていて、現在もケイティー霊の容貌をしのぶことができます。


例えば・・・

*ケイティー霊の脈拍を測る → 75 強い
  クック嬢            → 90 弱い

*ケイティー霊の髪      → 金髪  ・硬い
 クック嬢            →  黒  ・柔らかい

*ケーティー霊         → 絶世の美人
  クック嬢            → 普通の顔立ち



他にも、多くの実験例が紹介されています。是非、ご一読ください。




19世紀のスピリチュアリズム 〜嘲笑と忘却と・・・そして コナン・ドイルへ〜

  • 2013.12.29 Sunday
  • 23:45
 
今までの流れを簡単に復唱してみます。


19世紀。マルクスとダーウィンの出現によって”唯物思想の牙城”が築かれた一方で、

”目に見えない”神霊達の働きかけによって”心霊現象”は始まりました。


ダーウィンウォレスは、ほぼ同時に「生物の進化」に”自然選択”という視点を

取り入れて「動物の進化説」を発表しました。

けれども、”人間の進化”というテーマに至った時に、ダーウィンとウォレスは

全く異なった研究結果にたどり着きます。


ダーウィンは”人間は、猿を経過して進化した動物”という結果を、

ウォレスは”人間は、動物とは異なる進化をした霊的存在”という結果を出しました。


これによって、ダーウィンは19世紀以後の科学の祖となり、

ウォレスは嘲笑と無視の対象になりました。


しかし、ウォレスは晩年の30年間”心霊現象”の科学的研究に打ち込み、

多くの研究発表を行いましたが、そのほとんどは日本語に訳されていません。

そして、現在まで”消された存在”でした。



・・・というのが、大筋です。



ダーウィニズムが科学の常識となって約150年を経て、

ようやく『心は脳を超える』などの書籍をとおしてダーウィニズムへの警鐘が

鳴り始めました。

一部のジャーナリスティックな視野の持ち主によって、ウォレスの名前は紙面に復活しましたが、

彼の業績は「進化説の協力者」とか「ダーウィンの陰」といった風な扱いしかありません。


現在でも、ウォレスが自ら築いた”自然科学者”という地位も名誉も捨て、

生涯をかけて研究した「心霊科学」について取り上げることは、あたかもタブーのようです。




ウォレスが60歳当時のイギリスでは、”1848年のハイズビル事件”以降に次々に

起こった”心霊現象”を、科学的研修対象として研究する紳士・淑女が 未だ多くいました。

ウォレスは90歳で死去するまでの30年間、精力的に”心霊研究”を重ねましたが

この約30年の間に、イギリスの世間から”心霊科学”は嘲笑と忘却の対象になっていました。



繰り返しますが、それは研究内容自体への正統な評価によるのではなく、

ただダーウィニズムという常識に”合わなかった”という一点によるものです。



そして、その遺志を継ぐ者として”シャーロック・ホームズ”の著者A・コナン・ドイル

20世紀に出現します

後に、彼は”シャーロック・ホームズ・シリーズ”によって築いた膨大な著作料の全てをかけて、

19世紀スピリチュアリズムの復興」の旗手として全世界を講演し続けました。


    著書『コナン・ドイルの心霊学』(潮文社・刊)より以下の言葉を抜粋します。
     
     「この上なく 重大な事実の真実性を 証言するために、
      1848年のハイズビル事件以来 70年にわたって 嘲笑と世間的不遇を
      ものともしなかった、道義的勇気にあふれる人々に 本書を捧げる。」

           1918年3月                     A・C・ドイル


そして・・・それから更に約100年もの時が経ち、今ようやく”アンデルセンの夢”が

実現できる時がやってきました。


「王様は裸だ!」


19世紀のスピリチュアリズム 〜唯物主義 & キリスト教会 〜

  • 2013.12.28 Saturday
  • 23:43
 
19世紀に、マルクスが宗教を”阿片”と位置づけて、宗教を否定したころから、

白人社会の風潮は「キリスト教からの開放」といった風潮が起こっていました。


そこへ、ダーウィンが『種の起源』で「人間は、動物から進化したもの」と定義づけたことで、

マルクス主義+ダーウィン主義=唯物主義

という思想運動が、ヨーロッパを覆いました。

そして、急速な勢いで「唯物主義」であることが、

文化人あるいは科学者であるための”基準”になりつつありました。



けれども、「唯物主義」をかかげる文化人や科学者であっても、

その後もキリスト教会に個人として所属していた理由のひとつには、

キリスト教徒でなければ”墓地”に埋葬してもらえない!

という事情が大きかったようです。


つまり、生きている間は”この世だけ”で全てが完結している!にもかかわらず、

死んで”ゴミ”として処分されることは絶対に承諾しかねる!ということでしょう。



勿論、ダーウィンの『種の起源』や、『人間の由来(人の由来)』

(原題"The Descent Of Man And Selection In Relation To Sex")

に対して、当時のキリスト教会も黙っていたわけではありませんが、

彼らの反論はかえってダーウィンへの支持を強化する役にたっただけでした。



このように、勢力が急速に失墜していくキリスト教会でしたが、教会にとっても

”目に見えぬ世界”から”高次霊の言葉”や”奇跡現象”をとおして働きかけてくる神霊達の

存在は、「邪魔」な存在でした。


たとえ、それらの言葉が神聖な事実を語っていたとしても、

キリスト教会の神父や宣教師には、それらの神霊は働きかけることがなかったからです。


それどころか、多くは”ごく普通の女性達”をとおして、深遠な情報が次々に

伝えられてきました。


今考えても、当時のキリスト教会にいた”宗教者のプライドが許さない”出来事

だったのでしょう。



その内容が、素晴らしければ、素晴らしいほど”認めたくない事実”であったはずです。




結局、19世紀スピリチュアリズムを起した神霊達も、

そして、それを信望した真摯な研究者たちも、

「唯物主義 & キリスト教会」の勢力完全無視される立場になりました。



残念ですが、そのまま21世紀が始まっています。




   *明日もつづけます。


19世紀のスピリチュアリズム 2  〜宗教的抵抗運動〜

  • 2013.12.27 Friday
  • 23:31
 
昨日は、現代の”スピリチュアル”という雰囲気を楽しむ傾向とは全く違って、

19世紀のスピリチュアリズム」は宗教的抵抗運動だったのだ!という

結論を先にお伝えしました。



何に対する抵抗運動だったのか・・・といえば、

19世紀に始まる”マルキシズム=マルクス主義”と”ダーウィニズム=ダーウィン主義”が

作り出す「唯物思想」に対する”抵抗運動でした。


この抵抗運動の首謀者達が「神霊」だった!と言う事になります。




マルクスが『共産主義宣言』(エンゲルスとの共著)を出版した1848年に、

アメリカで「ハイズビル事件」という”心霊現象”が起きます。

これが19世紀スピリチュアリズムのスタートでした。

つまり、「神霊」のほうから地上の”チャネラー”と呼ばれる”同通役”に対して、

積極的に交信を行ってきたのです。



その後、”心霊現象”はイギリスに広がります。

そして、ダーウィンが『種の起源』を出版する頃には、

当時のイギリスの世評を二分するような思想的ムーブメントを興していきました。

それが、浅野和三郎氏のいう「神霊主義」といわれた優れた科学的探求者

原動力になりました。


中には、”心霊現象”を偽ったものも数多くいたために、結果として評判を失墜させて

しまいますが、その中でもウォレスのように科学的見地から生涯を投じて研究に

打ち込んだ貴重な資料や論文が、当時は多数存在していたはずです。



現在のスピリチュアルと呼ばれている正統な流れは、19世紀のスピリチュアリズムを

源泉として流れ続けていることは確かです。



    明日も続きます。

19世紀のスピリチュアリズム : ダーウィン・サイエンスへの宗教的抵抗運動

  • 2013.12.27 Friday
  • 01:33
 
来年は、「ディバイン・サイエンス」で進めていこう!と考えています。


その前に、ダーウィン・サイエンス(造語)に関わる”大切な話”を

まとめておきたいと思いました。

その”大切な話”が「19世紀のスピリチュアリズム」です。




まずは、”言葉の整理”をしておく必要を感じています。



20世紀後半、とくに1970年頃から流行してきた”精神世界カルチャー”で

よく使われる「スピリチュアル」と、「19世紀のスピリチュアリズム」には”大きな違い”が

あるのですが、そのことをいう人はほとんどいないようです。



<スピリチュアル>

スピリチュアル」を日本語にすれば心霊的な」という漠然とした”雰囲気”を

優先する表現として使われているように
感じます。

例えば、”スピリチュアル・サウンド”や”スピリチュアル・アート”や”スピリチュアル・ヒーリング”

とか・・・・なんとなく”そ〜〜かな〜〜〜”とは思うのですが、

ではいったい”何をもって、スピリチュアル”と定義しているのか?といえば、

どんなに突き詰めても”なんとな〜〜く、雰囲気的に”という印象があります。


たまに、「天使とか、妖精とか・・・占いとか・・」と返事をしてくれる友人達もいます。


では、その”天使や妖精”と”自分自身”との関わりは・・?と訊けば、「全く別の存在」という

内容の答えが返ってきます。

つまり、どこかに”天使や妖精”が存在していて、ときおり”自分”に働きかけたり、助けたり

してくれているらしい・・・ということです。



人間にとって嬉しいことですが、この思想では「自分は求める者。天使は助ける者」という

役割分担から成長することは難しいと思えます。


けれども、山本七平氏のいう”空気という文化”を信仰している今の日本には、

この意味での「スピリチュアル」が好まれていることも事実です。


<スピリチュアリズム>

19世紀のスピリチュアリズム」を日本語にするときは、私は浅野和三郎氏の語訳

神霊主義」が最良だと考えます。


漢字で書くと、「心」と「神」の違いがみえます。

つまり浅野氏は、スピリチュアリズムの背景には、厳然とした宗教的意味があった

ということを強く伝えようと表しています。


結論から言えば、「スピリチュアリズム=神霊主義」は、

マルキシズム=マルクス主義」と「ダーウィニズム=ダーウィン主義」に対する

宗教的抵抗運動”だったのです。



                      明日も、続けます。








コラム: 『心は 脳を 超える〜 人間存在の不思議』 〜ノーベル医学・生理学賞 エックルス教授の結論〜

  • 2013.12.25 Wednesday
  • 01:13
 
メリー・クリスマス

今頃、教会では静かなミサが行われているのでしょう。


昨日は「天皇誕生日」で、今上天皇80歳のお祝いでした。

本当に、日本の天皇家は素晴らしい存在です。

そして、今日は「イエス・キリスト」2013年目の誕生祝。



年末・年始と、様々な神様への感謝を思う時期です。

「信仰心」は、人間に与えられた特権だと思います。




この三日ほど、『心は 脳を 超える』(紀伊国屋書店)を読んでいました。



脳生理学の先駆的研究者でありノーベル賞受賞者であるエックルス教授と、

心理学者ロビンソン教授の、”人間の心とは何か?”という根源的な問いに

対する真摯な探究心が共鳴しあって、それぞれの専門分野から取り組んだ共著です。




おふたり共に、ダーウィニズムをベースとする近・現代の科学的”常識”に対して、

専門の最先端から警鐘をならして下さっています。


唯物論・ダーウィン進化論・還元主義や決定論をもつ科学者に対して、

結局”人としての謙虚さ”を促していました。


つまり、”全てを分かったような驕り”を持ってしまっている人間の”傲慢さ”にたいして、

本当は”なにひとつ大切なことは分からない”という事実を 謙虚に受け止めることを

強く伝えてくれていました。



文体としては、私のような一般人が読むには”硬い”文章ですが、

その内容は、”教導の愛”に満ちているように思えました。



クリスマスの頃に、この本にであえたのは”偶然”ではないように思います。


    Why 何故・・・?は、神に問え。

    How どのように・・?を探求するのが科学者である。


そろそろ・・・・神のもとに 科学が探求される時代が 近づいてきています。












ダーウィン・サイエンス 〜時系列だけの進化説〜

  • 2013.12.21 Saturday
  • 23:44
 
今日も”ダーウィン・サイエンス(造語)”です。


ダーウィン・サイエンスの最も”頑強な点”は、時系列的な進化以外の思考や発見を

徹底的に黙殺または否定していく態度
にあります。


私から見れば、あたかも”時系列的な進化”以外を認めないことが、

科学的であると信じているように思えます。


世界中では、”ダーウィン・サイエンス”的には解明不可能な物体などが

かなりの頻度で見つかっています。

けれども、その中にどれ程の科学的研究対象が存在していたとしても、

ダーウィン・サイエンスの定義に適合しない存在は、存在自体が”黙殺”されています。

そして、何事もなかったかのように・・・・また”時系列的な進化モデル”を構築して発表します。



特に、残念なことですが、日本はその傾向が強烈!だと感じています。



余談ですが、この点は・・・「さようなら文化」とでも名づけたい傾向性です。


渡辺昇一先生のご著書で知ったのですが、英語やドイツ語では、

今から分かれる人に向けて「神があなたと共にありますように・・」

という内容が「グッドバイ(ゴッド バイ)」です。


一方日本では、お城での勤めを終えた侍達が、自分の左側に座している”目上”の

行動をキッカケに「左様がご退席なさるなら・・・私も・・・」といって

おもむろに立ち上がる、その挨拶が「さようなら」。


「さようなら」つまり、左向け左!のときに1人でも反対を向くことを許容しない、

一糸乱れぬチームワークが日本のダーウィニック・サイエンスに根付いている感じです。


皆が”左(目上)の人”の動向をうかがいながら、自分がはみ出すことに恐怖感を

植えつけられているのかもしれませんね




そのほかにも、この時系列以外の進化を認めない!という態度の中に、

実は「人種差別」の火種がくすぶり続けています

つまり類人猿から先は、”有色”→”白色”への進化となりますから、

日本人も含めて”有色人種”は人間として未完成な状態であることになるのです。

たしかに、白人種にとっては”好都合”な説ではありますが、

過去の奴隷制、植民地、そして、第二次大戦中の日本への原爆投下と東京大空襲なども、

その根底にはダーウィン・サイエンスの思想的なバックアップがあったことは、

まぎれのない事実であるはずです。




そして、最近は同じ”黄色人種”のなかで、全ての文化は”わが国”から始まった・・と、

いい始めた国がありますが、その主張もダーウィン・サイエンスの思想がなければ

成り立たない主張なのです。



私達が、ダーウィン・サイエンスの思想から”独立”しなければ、

本当の意味での”思考的自由”はありえない。・・というのが、現実です。



少なくとも私は、ディバイン・サイエンスの立場から、

日本という国が約1万年あるはそれ以上の綿々と続く歴史を有した文化的大国であると

考察しています。




ダーウィン・サイエンス 〜無に始まって、無に終わる〜

  • 2013.12.20 Friday
  • 22:20
 
ダーウィン・サイエンス(私の造語)を もう少し考えてみます。



例えば、「宇宙の始まり」・・という遠大なテーマの場合でも、

ダーウィンの進化論を起点とした思考では「現在だけが過去よりも

優れている
」という発想になりますから、過去様々に考えられていた

神話的「宇宙の始まり」に関する思考は、全て”稚拙”であるか、または”荒唐無稽”で

”非科学的”な”迷信”と切り捨てられています。



けれども、その「最も優れている現在」のダーウィン・サイエンスがたどり着く結論は、

全て「無から始まり、無に終わる」という3次元物質的な事実の羅列しかありません。


つまり、宇宙はひとつの点からビックバンによって始まったが、それ以前にその点には

”何もなかった”。



と同時に、「宇宙は法則」に満ちている。そして、その”法則の探求”が

人間の知性の求めるところです。



では、その”何もない=無”の点から始まったものに、どのようにして法則性が

もたらされるのでしょうか?


”無”は、本当に法則を産み出す力をもっているのでしょうか?

”無”と”偶然”から、この宇宙を統べる法則をつくる力がどのようにもたらされるのかを

ダーウィン・サイエンスは解明することができるのでしょうか?



私にとっては、「法則が世界を産み出す」と考える方が簡単です。

そして、その法則をもたらしているものを”神”と呼ぶことに、希望を感じます。



ダーウィン・サイエンス と ディバイン・サイエンス 2  

  • 2013.12.18 Wednesday
  • 23:37
 
昨日から「ダーウィン・サイエンス と ディバイン・サイエンス」というテーマで

考えています。


ダーウィン・サイエンス〜私の造語〜を定義すれば、

「ダーウィンの『種の起源』を出発点として、物質的に確認できるもの〜

例えば、発掘や実験的な証明〜だけを事実として扱う”帰納法”的な価値観」を

”常識”とする科学。・・・です。


帰納法を例えていえば、梯子の一番下から順々に上っていく、誰にでも分かり易い方法です。

その方法自体は、堅実で、社会への適合性に優れている。と認めます。


けれども、ダーウィン・サイエンスである限り、その思考の原点は「偶然」や「」でしか

ありえません。


科学である以上、前提が同じであれば、その後のあらゆる事実への解釈も、

ひとつの方向性に限定される”という約束事があります。


私たちがそれぞれに自分の意思で科学的思考をしているように思っていても、

ダーウィンによって偶然掛けられた、”同じ梯子”を上っているだけのように思います。

その”同じ梯子”の”違う段”からみえる光景を、様々に自己表現しているように感じます。

あるいは、”同じ梯子”とは”同じ言語”という意味であるかもしれません。

様々な視点からコミュニケーションするためには、”同じ言語”を持たなければ

仲間にはなれない。という現実があるのかも知れません。



仲間にはなれない。つまり、村八分という”仕置き”は、ダーウィン存命中もウォレスに対して

十分に活用されました。ただ、ウォレスは自分の科学的信念を曲げませんでしたが・・・。



ウォレスが信じた科学的信念は、「霊的高次元と物質的3次元の融合による科学」の

発展を目指すこと
だったと、確信しています。


ウォレスは、あえて”神”という言葉を使いませんでしたが、それは彼が生存し、活躍していた

19世紀のイギリス社会にとって、”神”という言葉にはキリスト教の宗教観以外の理解を

受け入れることが出来なかったからでしょう。


さらに、ウォレス生存中には、未だ宇宙創造を成しえる存在を次元的に表現できるだけの

数学的な探求は出来ていませんでした。

今なら、少なくとも20次元あるいはそれ以上の次元存在であると定義することができます。



そして、私達人間には計算は出来ても、その実態を想像することができない”未知の叡智”を

”証明”によってではなく、”直感的確信”によって受け入れることの出来る者が、

ディバイン・サイエンスを探求することができる
のだと考えます。




人は、自らの見たいものを見、聞きたいものを聞く。

これは、私が実感している、私にとっての真実です。


私は、ディバイン・サイエンスという”新しい出発点”から見えるものを見、

聞こえるものを聞き取っていきたいと、強く希望しています。


そして、そのひとつでも多くのことを、1人でも多くの方々と共有していくことを

夢見ています。



ダーウィン・サイエンス と ディバイン・サイエンス

  • 2013.12.17 Tuesday
  • 00:17
 ダーウィン・サイエンス・・・私の造語です。


私の中の私が、もっと思考の飛躍をしたい!と提案した造語です。


約150年ほど前の19世紀に書かれた『種の起源』を起点として、

今私たちが目にする”科学”、あるいは大学で扱われている”学問”は、

その土台をダーウィニズムにもっています。


ですから、現在”科学”と呼ばれているもの全てが、

私にとっての「ダーウィン・サイエンス」にあたるかもしれません。



このダーウィン・サイエンスでは、人間も、この宇宙も、

全てのものが”突然”に、”偶然”に、”なげだされた存在”として始まります




これだけの法則性に満ちた世界が、本当に”偶然”の所産として存在できるのでしょうか?



150年もの間、優れた科学者や思想家が数多くいたにもかかわらず、

何故、私のような疑問を持つことがなかったのでしょうか?そんなはずはありません。


なにか、その陰にトリックがあるように思えます。


ましてや、ナポレオン・ヒル著『悪魔を出し抜け!』などを読んでいると、

ダーウィニズムそのものが、トリックであるようにも思えてきます。




「進化」という考え方を否定しているのではありません。

「進化」という方向性が、偶発的な条件だけで進んでいって、

本当に「進化」といえるプロセスを行うことが可能なのか・・・と思うのです。


今、目の前に起こった事柄に、出たとこ勝負的な対応が「進化」である可能性を

信じることが出来ません。



私にとっての「進化」とは、人間の知能では計り知れない遠大な計画性に満ちて、

常に俯瞰的な評価をあたえられるなかに、最善を求めて進んでいくようなものであると

考えています。



宇宙そのものを創造できるレベルの神の存在前提にすることができれば、

その宇宙に遍満する法則性から、込められた意図を読み取り、

「進化」の方向性を導き出すことも可能だと信じます。



そして、この宇宙そのものを創造できるレベルの神の存在前提にした科学を

ディバイン・サイエンスと名づけてみます



未だ名前だけの存在ですが、私の思考の中で雄大な空間をつくっていくのが

感じられています。




     *注)成功哲学のジョセフ・マフィー神父で有名なディバイン・サイエンス・チャーチとは
         全く関係がありません。


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Wornitz

〜ピタゴラスの手 HPより〜 Wornitz(ワーニッツ)を例えて言えば、泥水の入った容器をシェイクするようなものです。暫くするとシェイクされる前と同じように、その中身の比重に合わせて沈殿していきますが、しかし,どこをとっても「以前と同じではない」という状態、すなわち「秩序が変えられた状態」になっています。 泥水と違って私達の身体はもともと「より良くなろう」という性質が備わっており、Wornitz(ワーニッツ)によりシェイクされた後も無秩序に再構成されることはありません。常にベストな状態(秩序)を探りながら構成されていきます。そこに私達人間の素晴らしさを見ることができます。 その性質を最大限に活用させていただくことが、その時々の「最適な秩序」を構成する上でとても大切なことだと言えます。

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