ダーウィン・サイエンス と ディバイン・サイエンス の 次元的相違点

  • 2014.01.23 Thursday
  • 01:55
 
1月19日の記事でふれた「ナイト・サイエンス」は、

他の言葉にすれば”直感的科学”といえるでしょう。


アルベルト・アインシュタイン博士も、自身の「感性 あるいは 感覚」によって

あの偉大な理論(複数)が成り立っていると言っています。


アインシュタイン博士に限らず、

ほとんどの偉大な発見・発明は「ナイト・サイエンス」つまり”直感的科学”に支えられ、

「感性 あるいは 感覚」によって偉大な発見がもたらされるようになるために、

多くの偉大な努力と時間を積み重ねていたのだということです。


これは、トーマス・エジソン氏の語った

「99%のパースピレーション(汗) と 1%のインスピレーション(ひらめき)」 そのものです。


では、ひらめきならば何でも”良いもの”なのか?

その1%のインスピレーションが本当に”人類の幸せ”に貢献できるかどうか・・・


これは、かなり検討に時間を要することのようです。



ダーウィン・サイエンスも、始まりは”ダーウィンのひらめき”でした。

と同時に、”ウォレスのひらめき”でもありましたが、

ウォレスはそのダーウィンと同じ”ひらめき”を更に超える”ひらめき”にたどり着きました。



そして、21世紀を迎えた私たちも、ようやく”ウォレスのひらめき”に追いつき、

合流しようとしています。それがディバイン・サイエンスでもあります。




今日のお題は「次元的相違点」としたわけですが、

少なくともダーウィンが、終生徹底的に固執した観点は「3次元」存在です。

そして、この観点はダーウィン・サイエンスに脈々と”今”も息づいています。


何故そう言い切れるかといえば、同時代、「進化」という同じテーマでダーウィンを助けた

ウォレスがたどり着いた「多次元 あるいは 高次元」存在の科学的証明にたいして、

全く取り上げることがないばかりか、否定することでダーウィン自身の地位と名誉を

保持した
からです。


それ以来約150年・・・科学は3次元に”閉じ込められた”のです。




それでも、21世紀が始まる頃から、ようやく「多次元」や「高次元」が

科学の先端に現れてきました。

地下に流れていた伏流水が、あふれ出してきたようなものですが、

逆に言えば、本来ウォレスの「多次元 あるいは 高次元」科学が

150年間の遅れを強いられてきたのですから、この時間的ギャップを取り戻す勢いを

もちたい!・・・・と願っています。





そのために、ディバイン・サイエンスでは20次元超の世界創造の

神的存在を前提とすることで、高次元→低次元 つまり 上→下へ創造される宇宙観を

前提とすることになります。

ここが、ダーウィン・サイエンスと決定的に異なる”相違点”です。





ナイト・サイエンス  〜 ディバイン・サイエンス の 夜明け前〜

  • 2014.01.19 Sunday
  • 22:22
 
2003年10月から始めたたばかりの「ピタゴラスの手:ブログ」ですが、

毎日、記事を書いていない日も、ブログへ来てくださる皆様に

改めまして”ありがとうございます。”


************


現在の私たちが普通に「科学」と呼んでいるものを

あえて「ダーウィン・サイエンス」(造語)と呼ぶことで、

私たちが日ごろ何気なく”科学”や”科学的”という言葉で了解しているものは、

ダーウィニズムを基礎(常識)とした科学だと区別ができるようになると考えています。

  *ダーウィン・サイエンスとは、
  
  「ダーウィンの『種の起源』および『人間の由来』からなる進化説を基礎として、
  物質的に確認できるものだけを事実として扱う”帰納法”的な価値観を”常識”とする科学
  いわゆる現時点(現在)のサイエンス(科学)全般



そうでなければ、ダーウィニズムと違う基礎をもった科学的方向性は、

全て「科学以外のもの」になってしまいます。

はっきり言えば、「ダーウィニズムではない=科学ではない」という

”暗黙の了解”といえる慣習が,すでに世の中全体に働いています。




たったそれだけのことで、この150年以上の間に沢山の貴重な科学的資料や

科学的思想が、黙殺され捨てられていることかと思うとネーミングの大切さを

改めて感じます。



ダーウィニズムが「科学」という言葉を占領したことの最大の効果は、

科学という領域において「神」という概念をもちだすことは、

科学者としての敗北を意味するように思想的統一をしたことです



それでも、一個人として、あるいは天才的な発明などにおいて、

ダーウィニズムでは釈明不能な体験を実感された優れた科学者の方々が

「個人の見解」として、様々な言葉に翻訳して「神」や「霊」の存在を語ろうとしています。



なかには、堂々とその見解を書籍化して”科学界”に問いかける科学者もおられますが、

その科学者が著名であればあるほど、それに対する”ダーウィニズムの猛攻”が

あびせられる様子は「粛清」という言葉を連想します。




そうした規制の厳しい科学界にあって、それでも「ナイト・サイエンス」という言葉が

生きています。



昼間の公人としての科学的職務から解放されて、

個々に語られる”神秘性”を秘めた研究中の体験談などのことであるようです。


おそらく、インスパイアーされてくる体験でしょう。

この垂直方向からストーンと”降りてくる”あるいは”閃く”体験は、

実感すると間違いなく「自分を超えた存在」を感じます。

脳内物質の説明では、本当のところ納得できない領域のものです。



そして、世の中にある多くの有益な発見や発明は、この「ナイト・サイエンス」に

支えられている
のだ・・・とも聞きます。




現時点で、科学とよばれるダーウィン・サイエンスが科学としてなりたっているのは、

実は「ナイト・サイエンス」とよばれる”もうひとつのサイエンスの世界”に支えられている

からなのだ。・・・とすれば、その「ナイト・サイエンス」を昼間の明るい日差しの世界に

迎えるためにディバイン・サイエンスが朝日のような役割を担うものになることを

2014年に希望します。



  *ディバイン・サイエンス(造語)とは、

  宇宙自体を創造できる20次元以上にあるであろう
  「宇宙創造の意図」をもった「神」の存在を前提に、
  その「神の意図」である「法則性」を発見・探求する視点から、
  現在までの科学的研究成果を再構築しながら、
  人間および社会の更なる向上・発展をすすめようとする
  過去にもあり、未来を求めるサイエンス(科学)

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    コラム: 複数の同時世界へ 〜DVD『パラレル・プラネット』 〜  

    • 2014.01.17 Friday
    • 01:00
     
    15日も過ぎ、お正月気分も切り上げなければいけませんが、

    DVD『パラレル・プラネット』を観ながら考えていたことを少しお話します。



    SFですから、ネタバレは好ましくありませんが、まずはヘタな映画紹介です。

    主人公は、量子物理学専攻の研究者:ピーター(マイケル・デニス)。

    研究室教授である恩師ジャックの不可解な失踪事件に関して、「We」と語る謎の人物から

    尋問される内容に沿って、ピーターがパラレル・ワールドを行き来する”自身の記憶”を辿る。

    「自己の存在証明」を見つけようとするストーリー・・・・だと感じました。





    この作品の中で扱われていた物理学的な2つの内容は、

    近未来的に ディバイン・サイエンスを推し進めていく原動力になるだろうと考えています。


    パラレル・ワールド

    アインシュタイン・ローゼンブリッジ = ワームホール

        (参考)通過可能なワームホール 数式→wikipedia ワームホール





    パラレル・ワールド



    どのように思考をすすめても、

    「偶然の集合」でしか進化を語ることのできないダーウィン・サイエンスでは、

    ”同時進行”に”同じ人間”が”別の時間・空間”で平行存在する!ということは、

    全くありえないでしょう。


    そもそも、パラレル・ワールドを肯定すれば、同時に全く別空間の宇宙の存在を

    認める必要が出来てきます。


    私は科学者ではありませんから、感性的にしか表現できませんが、

    私にとってのパラレル・ワールドを”見える化”してみます。


    例えば、”細いチューブ状の糸”の””か、”編みもの”を想像します。


    もし3つのパラレル・ワールドなら3色、5つのパラレル・ワールドなら5色・・・

    多数のパラレル・ワールドが想像されますが、

    少なくとも、パラレル・ワールドが2つだけというのは(映画『コンタクト』的に)

    ”もったいない”と直感します。


    この糸を同時に”巻き取って”つくった球体、または”編んで”つくった鎖の輪・・・のように

    思えます。



    チューブ状の糸の外側からは、この宇宙は”有限ですが、

    チューブの内側からは、おそらく宇宙は無限あるいは”果てしない広がり”に感じるでしょう。


    チューブの外側からは、これらの宇宙は”時間的に同時平行の存在”ですが、

    チューブの内側からは、唯一無二の”孤立した存在”としか思えないでしょう。


    例えば・・・

    私たちが、ひとつのチューブの輪の中の存在であるとしたら、

    水族館の魚達のように、閉じられた空間は”果てしない広がり”で

    どこまでも泳ぎ続けることができるでしょう。


    隣の水槽との接触がない限り、”ここだけ”が”世界”だと思えます



    3次元物質が偶然に進化したという前提では、

    同一個体が、別宇宙に、同時存在することは、可能性がありません。



    けれども、”高次元存在”つまり”霊エネルギー”として人間を考えれば、

    その”表現体”のひとつとして3次元肉体をもつことが可能になり、

    結果として”表現体”は、”網目”のように各宇宙に各個存在する可能性がでてくるでしょう。


    つまり、人間を”霊的な存在”として規定すれば、

    人間は”エネルギー体”として自己を開放することができ、

    その結果として、複数の3次元化が可能です。


    おそらく3次元では、基本的に「1宇宙、1表現体」の規定があるのでしょう。

    (たまに、クローン化された個体が同時宇宙に複数いて、目撃されることもあるようです)



    少なくとも、異世界の中に”自分”が同時平行的に存在し、

    なおかつ自由選択を行っている・・・・
    ということを『パラレル・プラネット』は映像化しています。



    これ以上を考えることの出来る思考のキャパを持っていないので、

    ここから先は”未来”にお任せするのですが、『コンタクト』も『パラレル・プラネット』も

    荒唐無稽なでっちあげのストーリーではありません。それぞれ製作された年代の

    科学的最先端の可能性を発信しています



    ただこれらが、SFだけで行き詰まっている原因が、ダーウィン・サイエンスの唱える

    「3次元・唯物理論」にあるといいたいのです





    コラム: ナポレオン・ヒル著『悪魔を出し抜け』2  〜取材方法?〜

    • 2014.01.13 Monday
    • 22:54
     
    今日は、成人の日でした。

    美しいお嬢さんの振袖姿に出会うのは、嬉しいものです。

    日本人としての誇りをもった成人が、未来を創ってくださることを期待しています。




    3連休でしたので、以前読み始めたばかりでご紹介した

    ナポレオン・ヒル著『悪魔を出し抜け』2 〜取材方法?〜と題して、読後の話です。



    まずは、前置きです。


    ナポレオン・ヒルのご家族(特に奥様)の懇願によって70年以上も封印されていた

    『悪魔を出し抜け』でしたが、すでに読後の方はご存知のように、

    内容は「成功哲学の核心」そのものでした。

    最終にヒル氏が語ったように、私も強く

    「悪魔によって、成功への核心を確認し、確信した思いです。



    ところで、この”ヒル氏と悪魔との対話”と受け取ることのできる文面を

    「ああ、そう・・・」と簡単に受けってしまいそうになるのが、世の常ですが・・・



    実際、”悪魔”と名指しするような存在から アレだけの”奥義”というべき内容を

    聞き出しすことのできたナポレオン・ヒルという人物の”凄さを 改めて実感しました。


    今現在は、ヒル氏の著作権を気にすることもなく、

    どなたでも、勿論私でさえも、「思考は実現する」などの成功哲学を

    簡単に語ることが”あたりまえ”に許されて、沢山の成功本が書店に並んでいますが、

    もし現実に”悪魔”にインタビューを試みたとして、”悪魔”をどれほどコントロール

    出来るのだろう???
    と感慨深く思います。



    「へぇ〜、悪魔の方が 賢いな〜」

    「悪魔というが、なかなか”いいヤツ”じゃないか・・・」

    読まれた方々は、おそらく同じ実感をされたのではないでしょうか?

    私などは、ウッカリすると悪魔の言うことを”丸呑み”しそうになりました。

    まさしく、”警戒心ゼロ”→更に”感化されている”自分→”流される”パターンです。




    よ〜く、よ〜く、反復しながら読み直して、「アっ、ここにも」と思うような”すり替え”が

    潜んでいることにようやく気がつくのですが、おそらく悪魔の本当の実力には

    もっともっと凄まじいものがあるはずです!


    なぜなら、イエスもモーゼも釈迦も・・・おそらく名だたる偉大な人々は、

    その成功の前に、あるいは人生のあらゆる局面で”悪魔との対峙”をしているのですが、

    悪魔を退けることはできても、悪魔を消滅させることはできませんでした。


    これは、文中の文字どおりに フィフティー:フィフティー なのではなく、

    この3次元が悪魔に大変好都合なテリトリーだということでしょう。

    たとえれば、3次元は神にとっては夜の星明りのような世界であって、

    神は昼の地空戦に強く、悪魔は夜盗のように寝込みに暗躍している感じでしょう。




    日本人が感覚的に捉える”悪魔”は、英語的には”悪者”くらいの意味合いでは

    ないでしょうか。この辺は、題名のインパクトがかなり違っているはずです。




    けれども、ヒル氏が3次元的あるいは4次元的に対話している”悪魔”は、

    世界中の98%の人心を掌握し、世界戦争レベルの不幸を起すことを

    いとも容易に語る存在
    でした。

    と同時に、ヒル氏が目指している「成功」を 紙一重で「不幸」に”すり替え”る手管を

    豊富にもった存在
    でもありました。


    ですから、その悪魔に”すり替え”をほとんど許さずに、淡々と真実を語らせるだけの

    精神的コントロール
    を悪魔に与えているヒル氏の凄さが垣間見られます。




    実際に、悪魔悪人は ”悪”の実力というレベルに相当の開きがあります。


    宗教的にその違いを言えば、

    悪人は、人に憎まれても、人を狂わすことはできません。

    悪魔は、人に憎まれずに、人を狂わすことができます。

    悪人は、宗教的回心ができます!が、

    悪魔は、できません!!だから、いつまでたっても悪魔なのです。

    悪魔も元はそれなりの人間でしょうが、億年単位で悪魔をやっていれば、

    悪魔が板についてしまって、そう簡単には悪魔をやめられなくなっているのでしょう。

    それでも、「存在として無にはされない!」というところに、悪魔が言う「反対勢力(神)」の

    存在の大きさ
    を思ったりします。






    前置きの方が長くなりましたが、

    肝心の”取材方法”について、ヒル氏は全くノーコメントでした。


    ただ、ヒントとして文中から拾えることは、

    1★ヒル氏が「もう1人の自分」とすでに同通していること

      ・・・・ということは、ヒル氏は宗教的には”霊道を開いた存在”であって、
         自己修練によって、常に自己の思念をコントロールできる実力を持っている!

         そうであるならば、自分自身の思念を、悪魔の思念と同通させて、
         悪魔の思考をききとることが可能だろう。

    2★「マスター・マインド」として奥様を名指ししていること。

      ・・・・文中、ヒル氏自身が「今までマスター・マインドを使ってこなかった自分」を悔い改めて
         奥様をマスター・マインドとしたことを語っている。
         
         更に、マスター・マインドとして奥様が参加したことを悪魔が嫌悪している。

         これらから、奥様のなかに、悪魔にとって都合の悪い才能があった可能性がある。
         (例えば、巫女などの能力)
       


    この2つから想像できる”取材方法”は以下のふたつです。

    ヒル氏自身が、霊媒として「自動書記」のかたちで 悪魔と対話した。

    ヒル氏の奥様が 何らかの形で(例えば、催眠術など)霊媒となり、
     口述のかたちで悪魔と対話した。



    今となっては、誰もその”取材方法”を確認することは出来ないようですが、

    もしかしたら・・・・未だ、語られていない事実が、ナポレオン・ヒル財団から公開される日が

    くるかもしれません・・。


    楽しみです。





    ディバイン・サイエンス 〜 世界観〜

    • 2014.01.10 Friday
    • 23:17
     
    ダーウィニズムを肯定される識者の意見に強く感じることは、

    「生物における”自然淘汰”による進化は、事実である」という事象から、

    「ダーウィニズムは正しい」という結論が導かれていると思えることです。



    ”自然淘汰による進化”は、ディバイン・サイエンスであっても認めている事実です。


    現に、「ダーウィニズム」という言葉をつくった19世紀自然科学者のA・ウォレスは、

    「生物において”自然淘汰”による進化」をダーウィンより数多く採取して証明しています。


    けれども、大切なことは「進化の全ては、ダーウィニズムでは説明できない」という

    A・ウォレスの結論も、ひとつの事実だということです。

    それは、心霊現象を科学的に調査、研究した結果として、”自然淘汰”以外に

    進化に関わる”力の存在”があったという事実です。

    これらの調査・研究を統合してでてきたものが、浅野和三郎氏のいう「神霊科学」でした。




    19世紀当時であっても、わずか10年ほどの期間で”ダーウィニズム”は

    科学だけでなく、社会全体を導く”常識”に成長し、21世紀に及んでいます。

    ですから、公平で科学的な検証のまえに、”常識”という見えない圧力が覆いかぶさって、

    神霊科学は、現時点では「ないに等しい」絶滅寸前の状態です。



    このような絶滅寸前の状態をつくっているのは、ダーウィニズムだけの問題ではなく、

    心霊を信じている人たちさえも、科学と心霊とを全く別の次元にわけて受け入れている

    ことが、貴重な神霊科学を現代の日常生活に応用できない限界をつくっているように思います。




    ディバイン・サイエンスは、神霊科学を出発点として、さらに現代科学との融合の可能性を

    導き出したいと願うものです。


    つまり、現代科学で発見されている様々な事実を、ダーウィニズムの視点ではない

    「20次元超の神」を起点とした世界観から再考していくと、何が見えるのか?と思うのです。



    もし、”今、証明できない”ということが”ない”ということであるなら、

    未来にみえる世界は”ない”ものばかりです。


    けれども、まず可能性を受け入れることから始めれば、

    未来はとても豊かに”ある”はずです。




    ダーウィン・サイエンス と ディバイン・サイエンス の 「定義」

    • 2014.01.07 Tuesday
    • 15:16
     
    今年も試行錯誤しながら考えを進めていきます。
    よろしくお願いします。
    ****************

    以下の定義を見ていただく前に、ディバイン・サイエンスの立場が

    現時点の科学に対する”全面否定”ではない!ことを 明記します


    それどころか、科学的発見や発明に対して 憧れと尊敬の念をもってみています。


    ただ一点、ダーウィニズムのなかだけで窒息しそうに見える科学を、

    自由性」や「可能性」の豊かな”本来の科学”へ取り戻すことができないか!?と、

    試みています。 今は、たったふたりの小さな「ピタゴラスの手」ですが、究極は

    「科学の開放」 とか 「科学のルネッサンス」とか表現できるようなものを

    興すことによって、ダーウィニズムから解き放たれた「新たな身体論」が

    常識となることを目指しています。




    人は、”同じ事象”から、”全く異なった、あるいは正反対の理解”を導くことができます。

    多くは日常のなかで、特に”愛”において見受けられますが、

    科学と呼ばれる世界でも、人が思考する以上同じです。


    ですから、自分自身が「何を常識としているか?」という自問自答が、

    いよいよ必要な時期にきていると思うのです。


    前置きが長くなりましたが、以下「定義」です。


    <定義>

    『ピタゴラスの手:ブログ』で使っている”ダーウィン・サイエンス私の造語)”も

    ディバイン・サイエンス”も、その定義は個人的なものですので、改めて表記します

    いずれ定義の変更が必要だと思いますが、現時点の考えでまとめました。


    *ダーウィン・サイエンスとは、
      
      「ダーウィンの『種の起源』および『人間の由来』からなる進化説を基礎として、
      物質的に確認できるものだけを事実として扱う”帰納法”的な価値観」を”常識”とする科学
      いわゆる現時点(現在)のサイエンス(科学)全般


    *ディバイン・サイエンス
    とは、

      宇宙自体を創造できる20次元以上にあるであろう
      「宇宙創造の意図」をもった「神」の存在を前提に、
      その「神の意図」である「法則性」を発見・探求する視点から、
      現在までの科学的研究成果を再構築しながら、
      人間および社会の更なる向上・発展をすすめようとする
      過去にもあり、未来を求めるサイエンス(科学)

    ・・・と ”欲張り”な定義です。


    <注1>
    英語ディバイン(divine)はヒューマン(human)の反対語でもあります。
    語源は、ギリシャ神話のゼウスDeusに由来するそうです。
    そこから「神」を指し示す言葉になっています。が、英語圏のdivineはやはりあくまでも
    「キリスト教的神」を前提に使われていますので、英語表記のdivine scienceでは誤解を
    招く可能性が大きいと思い、カタカナ表記にしています。
    また、ディバイン・サイエンス・チャーチとの関係はありません

    <注2>
    20次元は、現時点で私が知る限り「数学的に証明可能な限界」であることから、
    ”人智の及ばない存在”である”神”の次元としました。


    ご挨拶 : 明けまして おめでとうございます。

    • 2014.01.01 Wednesday
    • 01:18
     

    2014年が、 皆様にとって より素晴らしい年となりますように。


    これからも、「ピタゴラスの手:ブログ」を どうぞ よろしく お願いいたします。






    2014年1月1日より、このブログ・タイトルを「ピタゴラスの手:ブログ」に変更しました。
     
      新しく「ピタゴラスの手」が、HPになります。


           

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    Wornitz

    〜ピタゴラスの手 HPより〜 Wornitz(ワーニッツ)を例えて言えば、泥水の入った容器をシェイクするようなものです。暫くするとシェイクされる前と同じように、その中身の比重に合わせて沈殿していきますが、しかし,どこをとっても「以前と同じではない」という状態、すなわち「秩序が変えられた状態」になっています。 泥水と違って私達の身体はもともと「より良くなろう」という性質が備わっており、Wornitz(ワーニッツ)によりシェイクされた後も無秩序に再構成されることはありません。常にベストな状態(秩序)を探りながら構成されていきます。そこに私達人間の素晴らしさを見ることができます。 その性質を最大限に活用させていただくことが、その時々の「最適な秩序」を構成する上でとても大切なことだと言えます。

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