ウォレス と スピリチュアリズム 〜新しい科学性への予感〜

  • 2016.09.22 Thursday
  • 13:46

スピリチュアリズムに関する詳細は、すでにある良書に譲るべきでしょう。

 

ただ、実際にクライアントの方々の身体をとおして観ずることができる「体の営み」に関わるほど、

一般常識的な唯物的人間観とは全く異なる事実や感覚に出会います

それを理由付けるための科学的定義が必要です。

 

しかし、それはダーウィニズムや唯物論に見出すことは出来ませんでした。

 

一方、ウォレスをはじめとするスピリチュアリズムの偉人達の業績には、

深い教訓と共通性を見出すことができます。

 

しかし、この150年の間にウォレス説を基とした自然科学はありません。

 

アルフレッド・ウォレス以外にも「智慧の巨人」とよべるスピリチュアリズムの偉人達による

それぞれの研究成果は膨大で学問的にも充分な影響力をもち、

科学的検証によって正しさが確証されているどころか、智慧の一部は実社会に応用され、

それと知らずに使われています。

にも関わらず、ダーウィニズムという社会常識の濃霧によって偉人達の存在は覆い隠されたままです。

 

エドガー・ケイシー氏、ブラバツキー夫人、ルドルフ・シュタイナー氏、

コナン・ドイル氏、ウィリアム・クルックス卿、浅野和三郎氏etc.

それらはすべてSpiritualism(*神霊主義)とよばれる狭い分野に閉じ込められて、

本来の役割を充分に果たすことができないままにあります。

  • スピリチュアリズムを神霊主義とした訳語は、浅野和三郎氏のオリジナルです。

これらに含まれる有用で膨大な情報は、全く社会に還元されないまま約150年間が経ちました。 

クライアントの方々に接するほど、私達現代人は潜在的にその“情報公開”の必要性に強く迫られていると感じます。

 

 

ダーウィン説に不足している「心」の進化

  • 2016.09.12 Monday
  • 18:00

ダーウィン説に不足している「心」の進化

 

185911月ダーウィンによる『種の起源』は、

少し先に興った共産主義思想と呼応するように

熱狂的な支持を得て、急速に社会的信用を確立します。

これが19世紀という社会性に選ばれた

ダーウィニズムという「流行」の始まりでした。

これによって、キリスト教の「神による創造」は

聖書の中の物語とされ、人間は動物と同質の生命体と

定義されるようになりました。

 

その僅か10年ほど後にウォレスは、純粋な科学者としての探究心から

スピリチュアリズムの研究家となり、

死を迎えるまでの30年以上をその研究に投じました。

それは、目に見えるものだけを追求していっても、人間存在のルーツに至る

本来の根源的な疑問「何故、人間だけが高邁な精神性をもっているのか?」には

たどり着くことが出来なかったからです。

 

結局、ダーウィンの進化論には「人間の精神性」や「人の心」という視点からの考察や研究が

全く欠けています。この、ダーウィニズム創始者ダーウィンにおいて

「人の心」を欠落してしまったことが、その後人間を肉体と同一視する

唯物的思想として人間への理解をゆがめているのです。

 

 

何故、人間だけが高邁な精神性をもっているのか?

喜びや悲しみの感情だけでなく、神や崇高なものへ向かう宗教的精神、

許しに至るような大いなる愛の精神、深い道徳的精神や高い科学的精神。

それらを表現するための音楽や絵画などの芸術的能力、数学など学問的な抽象的思考能力、

そして、人間同士のあいだに交わされるウィットやユーモア・・

それらは、動物の行動パターンから自然淘汰によって獲得できない。

 

これが、ダーウィンに先んじて自然淘汰説を説きながら説にとどまることなく、

世の中の潮流に逆行してでもウォレスがダーウィンより前進した原動力でした。

 

 

この思考のキッカケは、西洋人から見れば“原始的”と見える土着の種族たちが、

西洋人に劣らぬ精神性や哲学性をもって暮らしていることに接したためです。

・・・この実地の体験による比較観察は、幾度となく東南アジア諸島で調査・研究を繰り返すことの

   できたウォレスであるからこそ成しえた成果です。

   たった一度の調査旅行の直感的推測に従ったダーウィンとは、自然科学者としての

   緻密な研究態度が大きく異なっている点です。

 

 

さらに、当時ビクトリア朝の英国で盛んに実験研究されていた

スピリチュアリズムを研究対象として、

ウォレスは自分の死の直前まで30年間に及ぶ研究を重ね、

研究結果を多数の論文とレポートに発表し、

目に見えない世界の科学的信憑性を確信し、以下の結論に達したといわれます。

 

結局ウォレスは、「“目に見えない宇宙の意志”が人類史に少なくとも三回干渉した。

一度目は無機物から生命の誕生、二度目は動物への意識の導入、

三度目は人類の高い精神能力の発生。

これによって、地球上の生命体の進化と人類の誕生があった」という

スピリチュアリズムからの進化説を主張しました。

 

今21世紀の立場からウォレス説を受け入れたとき、長年解けなかった難解な図形問題に

一本の“補助線”を得たような感覚を覚えます。

 

おそらく、ダーウィン説によって閉じられてしまった「未知への可能性」が

開かれていくことは確かです。

 

 

アルフレッド・ウォレス

  • 2016.09.02 Friday
  • 22:31

現在でも生物学の教科書などに“ウォレス線(生物地理学)”として

名が知られているアルフレッド・ウォレスは、ダーウィンとは対照的に

1800年代英国の貧しい階級出身の青年でした。

 

そして、生来の探究心をもって“虫屋”として東南アジア一帯に活動拠点を広げます。

 

当時の英国では自然科学が流行して、ダーウィンのような上流階級の紳士たちが

こぞって自然科学に熱い興味を持っていたので“珍しい生き物の標本”が高値で取引されたのです。

 

ただ、ウォレスは“虫屋”にとどまることなく、ダーウィンに先駆けて「自然淘汰による進化説」という

独自の探求成果を学術レベルの論文として完成させ、

当時自然科学会の大先輩であり尊敬するダーウィンに宛てその論文を送っています。

(1858年7月1日のロンドンリンネ学会にて発表)

 

一方のダーウィンは、ビーグル号の航海に同行した時の印象や採集品への研究成果を、

レポートや書簡形式でしか自説を構築することができていなかったのですから、

自分より階級が低く才能あふれる青年の膨大で緻密な研究成果の存在は、本当に脅威であったようです。


ウォレスに対するダーウィンの「焦り」という心理的葛藤は充分想像できます。


このことがキッカケとなってダーウィンは先急ぐように『種の起源』を発表し、

時代の流行はダーウィニズムに流れ込みました。

 

その後ウォレスが独自の「進化論」を発表した時、ダーウィンは安堵したはずです。

 

なぜなら、ウォレスがスピリチュアリズムの研究成果を基にした人間の進化論は、

ダーウィニズムが流行していた英国自然科学会からも一般社会からも全く受け入れられず、

科学界からの追放に近い処遇を与えられたからです。

ウォレスによって消されるかもしれなかったダーウィンが、ウォレスを消し去ったのです。


「進化論」発表後のダーウィンは、自宅の小さな研究室にひきこもり、

ひたすらにフジツボの進化を研究した様子が娘から語られています。

 

一方、自ら論じた自然淘汰説をこえて「“目に見えない宇宙の意志”」が

地球生命の進化を計ったとする自説の進化論が人々の嘲笑を受ける中でも、

ウォレスは90歳余の生涯を閉じるまでの30年以上もスピリチュアリズムにおける人間研究を続け、

死の直前まで多数の論文を発表し続けました。

それこそが、彼が信じた「人間の進化」への探究心と確信が消えることがなかったからだと信じます。


人がそびえ立つ山の全景を見るには、その山から遠く離れなければ見えないように、

時に人の偉業も時代を経る必要があるのかもしれません。

 

ダーウィンが自説を発表する前、ダーウィンもまた当時の宗教的常識のなかで

研究仲間に『自然淘汰説』が受け入れられるだろうか・・?と不安の時を過ごしたとききます。

それは、本当にある種の偉業と受け取られて当然の行為です。

けれども現時点から振りかえれば、ウォレスほどの研究者としての良識と情熱と確信が

ダーウィンにはなかった・・と推察しています。

 

ある意味で、そのときダーウィンに”味方するもの”の力が大きかったと思わざるをえません。

 

 

 

 

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Wornitz

〜ピタゴラスの手 HPより〜 Wornitz(ワーニッツ)を例えて言えば、泥水の入った容器をシェイクするようなものです。暫くするとシェイクされる前と同じように、その中身の比重に合わせて沈殿していきますが、しかし,どこをとっても「以前と同じではない」という状態、すなわち「秩序が変えられた状態」になっています。 泥水と違って私達の身体はもともと「より良くなろう」という性質が備わっており、Wornitz(ワーニッツ)によりシェイクされた後も無秩序に再構成されることはありません。常にベストな状態(秩序)を探りながら構成されていきます。そこに私達人間の素晴らしさを見ることができます。 その性質を最大限に活用させていただくことが、その時々の「最適な秩序」を構成する上でとても大切なことだと言えます。

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